ゲームの隠しコマンドはなぜ生まれ、廃れたのか

「隠しコマンド」とは、文字通りゲームなどにこっそり隠して仕込まれたコマンドのことです。最も有名な例は、ファミコン用ゲーム『グラディウス』(1986年発売)にあった「コナミコマンド」でしょう。ゲームを一時停止して、コントローラーで「上上下下左右左右BA」と入れてやれば、ミサイルやバリアなどパワーアップがもらえるというもの。

このコナミコマンドは「ギネス世界記録(2012年版)」に掲載されたことや、TwitterのWebブラウザ版で使えた時期もあり(キーボードから入力すると画面上の鳥が逆さまになった)国境を越えて広く愛されていたことがうかがえます。

けれど、コナミコマンド以前に「隠しコマンドって何?」という人も少なくないはず。それは、『グラディウス』が30年以上も昔のゲームであることが一つ。もう一つは、「最近のゲームでは隠しコマンドは見かけなくなった」からでもあります。

では、隠しコマンドはいつ、どうやって生まれたのか? そしてなぜ、後のゲームには受け継がれなくなったのか。数十年ほど時間を遡り、その歴史や歩みを追っていくことにしましょう。

ライター:多根清史

隠しコマンドはいつ、どうやって生まれたのか?

テレビゲーム

世界でも最初期とされる(初ではないですが)「隠しコマンド」を今の時代に見るのは、意外と簡単。ワールドワイドに上映された映画『レディ・プレイヤー1』(2018年)の終盤にそれは登場します。『ADVENTURE』(1980年発売)というゲームで、ある一連の操作、つまり原初の隠しコマンドを入れると、秘密の部屋への道が開かれ、そこに「ワーレン・ロビネット(開発者の名前)柵」が現われるという仕掛け。

こうしたゲームの隠し要素は、元来「イースターエッグ」と呼ばれていました。特に『ADVENTURE』が発売された1980年当時は、1人の開発者がゲームのドット絵やプログラム、音楽まで全てを手がけることが一般的だったものの、メーカーによっては制作者の名前を出すのを許しませんでした。そのため「自分が創った!」ことを残すために、署名のように入れたと語られています。

海外ではゲームの他パソコン用ソフトでもイースターエッグが隠されていることは珍しくありません。特にWindows 95は「一定の順番でフォルダ操作をするとスタッフロールが現われる」などイースタエッグの宝庫であり、20数年後の今なお未知のものが発掘されたりしています。

隠しコマンドを広めた『ゼビウス』と『ドルアーガの塔』

アーケードゲーム

日本国内のゲームで「隠し○○」が広まるきっかけとなったのは、おそらくアーケードゲーム(ゲームセンター等に置かれる業務用ゲーム)の『ゼビウス』(1983年)でしょう。なにしろキャッチコピーが「プレイするたびに謎が深まる!~ゼビウスの全容が明らかになるのはいつか~」だったのですから。

それ以前は、ゲーム内にある主な要素はすべて公開されているのが「当たり前」。イースターエッグがあったにせよ「気づく人が気づけばいい」程度の、お遊びの要素に過ぎませんでした。ところが『ゼビウス』では高得点が稼げる「ソル」や、残機が増える「スペシャルフラッグ」など、「隠し」要素がゲームのスコア稼ぎやクリアにおいて大事な役割を果たすものばかり。そのため「隠し」が主役に躍り出てしまったのです。

『ゼビウス』のメインスタッフが手がけた次回作が『ドルアーガの塔』(1984年)です。こちらは「主人公のギルが、悪魔ドルアーガの支配する60階の塔を上っていく」という、アクションRPGの元祖的な存在です。
本作での「隠し」は、ゲーム本編の攻略とイコールとさえ言えるもの。60階のほぼ全てに隠しアイテム(宝箱)があり、それを回収していかないとクリアできません。たとえば「鍵を取らずに扉を通り過ぎる」「特定の順番でモンスターを倒す」果ては「右7回、左1回,右7回の順にレバーを入れる」などがあり、「隠し」を知ること=打倒ドルアーガに近づくことだったのです。

これら2つのゲームは後にファミコンにも移植され、どちらも大ヒットとなりましたが、移植に際して隠しコマンドが追加。『ゼビウス』(1984年)には無敵コマンド、『ドルアーガの塔』(1985年)には裏ドルアーガ(宝箱の出し方が通常版と異なる)が注目を集めたことで、それぞれ後の家庭用ゲームに与えた影響は大きかったと思われます。

なぜ隠しコマンドはファミコン時代に多かったのか

隠しコマンド

ファミコン全盛期の頃は、ゲームソフトから隠しコマンドが次々と見つかったものです。その一部はわざと話題作りのために入れられたこともあったのでしょうが、「開発中にスタッフが自分たちのために入れておき、消し忘れたまま出荷された」ことが、当時の関係者の口から語られる場合が少なからずあります。

なぜ、開発者は「自分たちのために」入れたのか。それは「ゲームのバグ(不具合)を確認するため」でした。1980年代当時はデバッグ(バグ取り)用ツールもろくになく、どこまでゲームが進んだかを記録する「セーブデータ」という概念もありませんでした。
そのため開発者はあるステージの不具合を確かめたいとき、実際にゲームを進めなければなりませんでした。ラスボスのチェックをしたければ、スタート地点から終盤までプレイを……それは何百時間も無駄になりかねないし、ゲームが上手くなければたどり着けません。
そこで用意されたのが「隠しコマンド」だったのです。そもそもコナミコマンドも、元々はデバッグ用に入れられたもの。『グラディウス』も元は業務用ゲームであり、(簡単にクリアされるとお店が儲からないため)とても難しいことで知られています。
それをファミコンに移植するにあたり、テスト作業を楽にしようと、プログラマーの橋本和久さんが作ったのが(ゲームの難易度を大きく下げる)「コナミコマンド」でした。しかし、偶然に入力できるような単純な並びでは困る。そこで「上上下下左右左右BA」と込み入ったコマンドにされたしだいです。

本来、この「コナミコマンド」は移植が完了したら削除されるはずでしたが、開発チームが消すのを忘れ、製品版に残ってしまったのだそう。そして『グラディウス』は難しかったのであっという間にプレイヤー達の間に広まり、ゴロの良さもあって多くの人が覚えるところとなったわけです。

コナミコマンドはその後も『魂斗羅』や『サイレントヒル』、『BEMANI』シリーズといったコナミゲームに採用されたほか、他社のゲームで見つかることもあり、ついには冒頭で述べたようにTwitterでも使えたりと、国境を越えた「世界で最も有名な隠しコマンド」へと成長を遂げたのです。

どうして隠しコマンドは衰退した?

一時は大ブームとなった隠しコマンドですが、おそらくピークは20数年前のスーパーファミコン全盛期の頃であり、初代PlayStationが登場した90年代半ばを境にして減っていき、やがて消えていきました。

下火になった理由の1つは、「ゲーム開発者にとって、隠しコマンドを仕込む必要がなくなった」ということ。『ドラゴンクエストⅢ』(1988年)以降はセーブデータ対応が当たり前となり、開発者はたとえば「主人公が無敵」なり「最終面直前でフル装備」のセーブデータを用意すれば、どこのどんな状態でもチェックできるようになりました。わざわざ隠しコマンドを入れなくても「読み込めばいい」わけです。

もう1つは、「裏技」ブームが過ぎ去ったから。裏技とは意図的に仕込まれた隠しコマンドのほか、意図されてないゲームの不具合を利用した「バグ技」も含まれていますが、いずれにせよ主な目的は「ゲームを楽にクリアできる」ことです(おふざけの裏技も色々ありましたが)。
でも、ゲームソフトの容量が増えていき、凝ったストーリーが語られるようになると、「手軽にクリアすること」はご褒美ではなくなっていきます。それどころか、何千円も払って買ったゲームが数時間で終わってしまえば、逆に大損した気持ちにもなりかねません。
かたやゲームメーカーにとっては、「中古ゲーム市場」が大きな問題となっていました。手っ取り早くクリアされてしまえば、中古ショップに売られることにもつながり、新品が売れにくくなる……。だからこそ、ゲームの作り手にとっても遊び手にとっても、隠しコマンドは魅力を失っていったのでしょう。

現在も生きる隠しコマンド

スマフォ画面

それでも隠しコマンドは、ジャンルによってはたくましく生き残っています。その最たるものが、対戦格闘ゲームでの「隠しキャラを出す」でしょう。今やメインプレイヤーとなっているカプコンの『ストリートファイター』シリーズの豪鬼も、元はといえば隠しコマンドだけで使えるキャラであり、それだけ対戦の組み合わせも増えてプレイヤーには嬉しくもありました。昔は「使用禁止」というほど強すぎる隠しキャラもいましたが、今ではおおむねバランスが取られている傾向がうかがえます。

また、今や誰もが持っているスマートフォンでも「隠しコマンド」は存在しています。たとえば電話アプリで、特定の記号や数字を入力するというもの。ほか有名Webサービスなど意外なところに隠しコマンドは“隠れて”いるので、興味のある方は調べてみてもいいかもしれませんね。


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※上記掲載の情報は、取材当時のものです。掲載日以降に内容が変更される場合がございますので、あらかじめご了承ください。

  • ライター

    多根清史

    1967年、大阪市生まれ。京都大学法学部卒業。著書に『ガンダムと日本人』『教養としてのゲーム史』、共著に『超ファミコン』などがある。ゲーム・アニメ・マンガ、政治・ITなど幅広いジャンルで活動中。

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