[2018年3月30日 Zing!掲載]
1つのゲームをモチーフに、各分野のプロフェッショナルにお話を聞いていく、AUTOMATONとのコラボ記事。
今回ピックアップするのは“ゲーム業界の経営”をモチーフにしたシミュレーションゲーム「Mad Games Tycoon」。
ゲーム開発をはじめ、会社の設備投資や人事など同作でテーマとなっている「ヒト・モノ・カネ」は傑作タイトルを生み出すのには欠かせない要素です。そこで、今回お話を聞くのは現場から監修レベルまでゲーム業界の全てを知り尽くした著名クリエイター・岡本吉起さん。
AUTOMATONサイドでは、「タイムパイロット」や「ストリートファイター2」といった数々のヒットゲームを世に送り出してきた氏に、業界に携わるきっかけとなった新人時代から“行方不明”とまで言われたどん底のゲームリパブリック時代を振り返ってもらいました。
Zing!サイドでは、どん底からの起死回生、あのヒット作の開発秘話やゲーム業界の未来について大いに放談していただきます。
ライター:CLIP編集部
起死回生の再チャレンジ
――(AUTOMATONサイドでお話しいただいた経緯から)「パズドラ(注1)」』をきっかけに再チャレンジを決意。どういったきっかけでミクシィと仕事をされることになったのでしょうか?
元々仲が良かった木村弘毅さん(注2)に声をかけてもらいました。「みんなでワイワイ楽しめるゲームを作りませんか?」って言われて。そこから2週間でモックアップ(注3)を作ってプレゼンに臨みました。
――かなりスピーディに動かれたんですね。
声をかけてもらった時に、これが最後のゲーム作りになるだろうと、人生を賭けるしかないと思っていたので必死でした。それとアイデアが浮かんだ時点で、このゲームは絶対に売れるという確信がありました。何というか「飛距離」が見えたんです。
持ち込んだアイデアに興味を持ってもらえて、木村さんと対話を重ねていく中で、「ビリヤードをモチーフにするのはどうですか」と言われ「頂きます!」といった形でどんどんアイデアが肉付けされていきましたね。そうして現在の「モンスターストライク」(以下「モンスト」)の根幹が出来上がりました。
注1:2012年にリリースされたガンホー・オンライン・エンターテイメントによるソーシャルゲーム、バズル&ドラゴン。世界中にプレイヤーが存在する人気タイトル。
注2:「モンスト」の初代プロデューサー。株式会社ミクシィの取締役であり、XFLAGスタジオ総監督。
注3:試作品
――最初は少人数でのスタートだったのでしょうか?
そうですね、はじめは限られた人数でのスタートでした。当初はこのプロジェクトが成功すると確信していたのは僕だけだったと思います。それでもすごい自信で「絶対売れるから」と毎日のように言い続けていました。みんなずっと疑っていたと思いますよ(笑)。
数々の“関ヶ原”を超えて、ようやく「モンスト」完成
――疑いながらも協力する。開発は順調に進んだのでしょうか?
全くですね(笑)。僕も最後の仕事だと思ってやっているから、絶対に折れない。意見がぶつかり合って、ケンカの連続でしたね。僕も木村さんに「このゲームがヒットしなかったら、ミクシィをやめるつもりですか? やめるつもりならワガママを通してください。そうじゃないなら僕のワガママを貫かせてください」と伝えていました。
僕はそのケンカのことを“関ヶ原”と呼んでいて、それを曲げるとゲームの根幹がブレるものは譲れなかったんです。逆に言えば、それ以外のアイデアは何でもOK。キャラクターのデザインは、かなり激しい衝突でしたね。今思い返せば、誰にも注目されてなかった分、自由気ままにできてよかったです。今のミクシィさん相手にケンカなんて絶対できないですもん。ヘコヘコするだけです(笑)。
「モンスト」はミクシィだからこそ成功した
――インフラやハード面(モノ)に関してかなり助けられたのでしょうか?
そこはかなり大きいですね。僕自身ゲームは作れるけど、サーバの構築は全然できない。優秀なサーバチームが加わってくれたおかげで、やりたいアイデアをどんどん形にできました。サーバがしっかりしていないと、サクサクプレイできなくてユーザーも楽しくないでしょ? それと木村さんがソーシャルのマーケティングに長けていたから安心して開発を進められました。あの後ろ盾は大きかったですね。
――ぶつかり合いながらもやはり木村さんの存在が大きかったんですね。
そうですね。3回くらいプロジェクトが中止になりかけたみたいで。その時に踏ん張ってくれたからこそ、何とかリリースまでこぎつけましたね。
――数々の難問をクリアしてようやく完成したゲームの反応を目の当たりにしてどう思われましたか?
世界2位のヒットタイトルになるという確信はありましたが、「モンスト」と同じくバウンドにバウンドを重ねた先はわからなかったので不安でした。それでもリリースから2年半くらいは僕の予想が的中しました。
「モンスト」が世界中を席巻!ヒットの感触
――ヒットの確信が実感に変わった瞬間はどんな時だったのでしょうか?
ネットの反応ですね。「みんなで『モンスト』やってる」「おもしろー!!」なんてツイートや、某ネット掲示板で「ポスト『パズドラ』キタアアアア」なんてスレッドを見つけたときは背筋がゾクッときました。それと実際にプレイをしているユーザーは、遠くからでも指の動きでわかるんですよ。お、やってるなって一人ニヤついていました。
――ゲームプロデューサーならではの感覚ですね。それまで手掛けたゲームとはまた違っていましたか?
全然違いますね。僕が今まで手掛けたゲームは自宅やゲーセンでやるゲームが多かったので、実際に目にする機会もなく人づてに聞くくらいでしたから。リアルタイムでブレイクしていくのを見て、鳥肌が立ちっぱなしでした。
今まで僕が手掛けたヒット作は2作目ばっかりだったので、オリジナルでこれだけ売れたことが誇らしく思えます。
大ヒット後の生活の変化
――ヒットした後、ご自身の変化はありましたか?
なんだろ? 394(注4)以前はフットサル、自転車、サバゲーといった趣味があったんです。今は忙しくてあまり暇がないのですが、田舎にある古民家へ行って草刈りするのが趣味です(笑)。別に古民家を改装しようなんて気持ちはないんです。ただただ草刈りするだけ。これがとにかくしんどいんです。頭の中が真っ白になって、疲れ果てて寝る。でもこれが妙に楽しんですよ。肉体労働からかけ離れている仕事をしているから、すごいリフレッシュになります。おかげで草刈りがめちゃくちゃ上達しましたよ(笑)。
注4:岡本さんが以前所属していたケータイアプリゲームの開発会社。
ゲーム業界の未来と自身の展望
――今後の展望はどう考えられているのでしょうか?
これまで自分のこともままならない状況が続いていたので、今までできなかった若手の育成に力を入れています。日本ゲーム文化振興財団という組織も立ち上げ、ゲームクリエイターを目指す学生たちから企画を募り、我々で吟味し良いアイデアであれば無償で資金を提供しています。
――アイデアがあってもお金がなかったというご自身の経験を活かした、ゲーム業界の未来に向けた支援なんですね。
そうなんですよ。ゲーム作りはバイトと両立できるものじゃない。いいアイデアをどんどんカタチにしていってほしいと思っています。“ヒト・モノ・カネ”のどれか一つでも欠けてしまうと素晴らしいゲームは絶対に生まれないんです。それを一番よく知っている僕が引っ張っていかないと。それと「こども食堂ネットワーク(注5)」の支援も行っています。
注5:経済的な事情などから満足な食事を取れない子供たちに無料や格安で食事を提供するボランティアネットワーク
――ゲーム業界に関わらず、若者たちへの支援をされているのは驚きです。
強面のくせに意外でしょ?(笑)。“日本に生まれてよかった”と思える未来にしたいんです。
――再びアーケードやコンシューマーゲームの製作は考えてないのでしょうか?
ないですね。ソーシャルを理解するのに3年かかったし、以前よりテクノロジーが進歩しているのでもう戻れない。でもソーシャルならではの苦悩もあるんですよね。
――ソーシャルの苦悩とは?
アーケードやコンシューマーは、全クリとかエンディングがあるじゃないですか。でもソーシャルにはエンディングがないんです。そこが難しいところ。
42.195km走っているのか、数百kmなのか、誰も分からないんです。どこにゴールがあるのか、何年後に終わるのかさえ分からずに走っているのが辛い。
時間が経つにつれ、人気が落ちたり、新たなタイトルが生まれたり、常にアップデートをしなければならない。「さあどうする?」の連続です。
――それでもゲーム業界で生きる魅力は?
ん~……。(じっくりと考えて)
やっぱりゲームってハマり具合が、他と比べてすごいじゃないですか。それがたまらないんですよ。“ドハマリする”って感覚、ゲーム以外でほとんどないでしょ? ファンに「ゲームしていたら、気づけば朝です」って言われたことがあって、思わず笑っちゃいました(笑)。でもそんな瞬間に脳内ドーパミンがドバドバ出ているような気がします。あの体験は味わってしまうともうやめられないです。それと世界の名タイトルと同じように、世界中の人たちが人種や言葉の壁を越えてプレイしてくれているのが嬉しいですね。ゲーム作りのオリンピックがあったら出場したいくらい(笑)。
これからも面白いゲーム作っていかなきゃな。
プロフィール
岡本吉起
1961年生まれ。81年にコナミに入社。83年には創業間もないカプコンに移り、「ストリートファイターⅡ」など、数多くのヒットゲームを生み出す。03年にカプコンを退社し、ゲームリパブリックを設立。自らのスタジオで大作ゲームの製作に着手する。しかし、10年頃から経営難になり、11年には実質的に活動停止。13年にリリースされた「モンスターストライク」の開発に携わる。
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