家庭用ゲーム機備忘録~ドリキャスの挑戦が通信ゲームを変えた~【通信ゲーム・ヒストリア 第3回】

テキスト: 多根清史

前回は1990年代にスタートした有料の通信ゲームについて執筆いたしましたが、今回は同じ年代から始まった据え置き型の家庭用ゲーム機に通信機能が備わったお話。

スーパーファミコン(以下SFC)やセガサターン(以下SS)などが現役だった20数年ほど昔ではありますが、家庭用ゲーム機向け通信対戦サービス XBAND(エックスバンド) が登場したのです。

通信技術の向上とモデムの普及が、ゲームを次のフェーズへと移行させた

XBAND登場理由の1つは、パソコンゲームの分野でソフトウェア的に通信技術が発達したことが挙げられます。そしてもう1つ、パソコン向けのモデムが普及し、価格がこなれてきたことが挙げられるでしょう。モデムとは電話回線を経由した通信装置のことで、当時のゲームハードを含むコンピュータ製品には付いておらず、別売りの製品を買う必要がありました。「ゲーム機やパソコン本体だけでWi-Fiに繋げる」現代とは違い格段にハードルが高かったのです。

もともと高価なパソコン用の周辺機器としては1~2万円のモデムは相対的に安い印象がありましたが、やはり家庭用ゲーム機はもっぱら子供が買う製品。そのため、ある程度の価格以上は買ってもらえませんでした。それが量産効果のおかげで、価格が下がってきたわけです。

そんな家庭用ゲーム機向けのモデム+通信対戦をセットにしたサービスがXBANDでした。SFC用のスターターキット(モデム+プリペイドカード20回分)が6,800円(税別、以下同じ)、SS用の「セガサターンモデムキット」(モデム+通信ソフト「セガサターンインターネット」やゲームソフト等が含まれる)が1万4,800円。どちらも1996年発売です。レジェンド的なゲームソフト『FINAL FANTASY Ⅵ』(94年発売)が1万1,400円だったことを考えると、そう高くないですね。

XBANDは基本的にそれだけでゲームで遊べるわけではなく、既にあるゲームに通信対戦機能が追加するものでした。SFC版は『スーパーストリートファイターⅡ』や『パネルでポン』など、SS版では『電脳戦機バーチャロン』や『ぷよぷよSUN』で、XBANDと組み合わせることで、距離を越えて電話回線越しに可能にしたのです。

通信対戦は電話代が高く付いた

XBANDでの通信対戦までの手続きは、まず自分だけの「cn(コードネーム)」を設定。cnとはユーザー名とメールアドレスを兼ねたもので、実はXBANDでは簡単なメールやチャットもやり取りできました。ライバルリストという名のアドレス帳があり、対戦で出会った最大8名と交流を深められて、なんと結婚に至ったカップルもいるという話もあります。

cnの次は、モデムの設定や通信対戦を行うエリア(市外局番)などの設定を行って、ホストコンピュータに接続。これは単純に言うと「人と人を出会わせ、対戦や会話を取り持つコンピュータ」のことです。同時にメールの送受信やライバルリストの更新も行われていました。

そこで、いったん回線が切断されます。そしてエリア内で対戦待ちしている相手が見つかった時、自分のモデムから相手のモデムへと電話をかけ、上手く接続されれば対戦がスタート。逆に相手が見つからなかった場合は、自分が対戦待ちとなり、電話が掛かってくるのを待つことになります。

XBANDは有料サービスであり、相手とのマッチングが成功した場合、モデムに挿入したプリペイドカードから料金が差し引かれていきます。2,000円で100回分のカード、それが1プレイ当たり大体3回分消費されて60円……良心的な価格ですよね。

「プレイヤーから別のプレイヤーに電話をかける」ということで、電話料金は対戦を申し込んだ側が支払います。同じ市内局番であれば1プレイで数十円程度ですが、たとえば大阪にいる人が東京の人と対戦をすると……。最初にエリアを設定させた理由はここにあります。

そのため1ゲームは長くても5分で終わり、勝敗が付いたときは双方が希望したときだけ続けて対戦。そして市外局番の相手と対戦したい場合はハガキで特別に申し込む必要があり、未成年の場合は親の許可が必要とされました。それほど、長距離間での通信対戦はお高く付いた時代だったのです。

モデムを標準搭載したドリームキャストの挑戦

ゲーム専用機と通信の関係にとって大きな転機となったのは、セガ(現・株式会社セガ)が1998年に送り出したドリームキャスト(以下ドリキャス)。少なくともメジャーなゲーム専用機の中では初めて通信機能(モデム)を標準搭載(後から交換できるシステムではあるが)して発売したのです。

ゲーム専用機は、買いやすい価格が重視され、安くするために少しでもコストを切り詰められます。定価1~3万円程度の製品の中で、単価が下がったとはいえ数千円もするモデムは通信不対応のゲームには必要なく、真っ先に削られてもおかしくありません。

今のようにインターネット回線が普及しているならモデム代は必要経費として割り切れますが、当時はインターネットの普及前夜…一部マニアは困難を乗り越えて使っていたものの、一般の人々が気軽に始められるほど環境は整っていませんでした。

「世間のネット環境が整ってから、モデムを後付けで買ってもらうのか?」「全台モデムを積んで世間の状況を変えていくのか?」とセガ社内でも意見が割れた中、決断を下したのが当時の社長・大川功氏(親会社CSKの名誉会長でもあった)というのはあまりにも有名な話です。あえてビジネスを度外視して、通信+ゲーム専用機に革命を起こすことを目指して「全台モデムを積む」を選んだのですね。

セガのスゴさは、ドリキャス をインターネットに簡単に繋がるようにするため、プロバイダ事業の「セガプロバイダ」まで立ち上げたことです。その利用料をタダにしたうえに、専用の通信ソフト「ドリームパスポート」の示す手順に従えばすぐに通信できるようにして、ネット接続のハードルをドカンと下げた訳です。

ドリキャスの通信対戦ゲームがニコニコ動画の原点?

そのインターネット接続機能を用いたドリキャス用ゲームの1つが『あつまれ!ぐるぐる温泉』(1999年9月発売)でした。自分だけのアバター(キャラクター)を作成して、温泉宿に泊まって色々な部屋で行われている娯楽に参加するという、要は対戦ミニゲーム集です。

麻雀、将棋、トランプ(大富豪、ナポレオン、7並べ、ユーコン、フリーセル)などテーブルゲームの対人戦をネット越しに可能にする、後のハンゲーム(後の連載で説明するので、お楽しみに)の先取りでもありました。最大6人まで入室ができる「大浴場」という名のチャットルームもありました。

しかし、『ぐるぐる温泉』が登場したのはドリキャス発売から約1年後のこと。ドリキャス+セガプロバイダは普通の電話回線を使っており、それゆえ通信速度も限界があったため、この方式でも成立する通信ゲームが開発できるまでには時間がかかってしまったのかもしれません。遅い回線が引き起こす、いわゆる「ラグ」(通信の遅れによる操作とキャラの動きのズレ等)は現在の通信対戦ゲームでも大きな問題であり続けていますからね……。

そのため、ドリキャス用通信ゲームとして先行した『セガラリー2』(1999年1月発売)は対戦用としてKDDIの専用回線が使われました。当時のKDDI回線は全国一律の料金だったためXBANDのような「市外局番の相手と対戦して電話料金がすごいことに」は起こらなかったのですが、それでも1分いくらの従量課金には違いなく、かなり高く付いた人もいることでしょう。

この『セガラリー2』と『電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム』の通信対戦部分を手がけていたのがドワンゴです。ここで培われたネットワークソフトの技術開発力が、後にニコニコ動画などを生み出していったのでしょう。

そうして前人未踏だったゲーム専用機+ネットワークの地平を切り拓いたセガとドリームキャストによる「日本で初めて商業的に成功したオンラインゲーム」こそが『ファンタシースターオンライン』だったのです……この続きは次回ということで。

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