ゲームボーイとポケモンが切り拓いた「通信」の可能性【通信ゲーム・ヒストリア 第1回】

テキスト: 多根清史

昭和や平成の時代では、ファミコンやスーファミ、プレステで「友達を家に呼んで一緒に遊ぶ」ことができました。今どきのゲームはネットと繋がり、人と交流しながら楽しむものが主流となっています。令和ではその「友達」の輪が、ネットを介して世界大に広がっているわけです。

スマホゲームで見知らぬ人とランクを競い合う、格闘ゲームで自分より強い相手と対戦する、手間暇掛けて作り上げた「村」を互いに訪問し合う――。これらすべてを成立させ、面白くしているのは「通信」です。

そんなゲームにおける「通信」がどこから始まり、どんな道を辿り、そしてどこへ行くのか。一つひとつが孤立していたゲーム達がどうやって繋がれ、顔も見たことも無いゲーム仲間たちの「輪」が広がっていったのか。今回から数回にわたり、駆け足で振り返っていくことにお付き合いいただければ幸いです。

家庭用ゲームと「通信」を繋げたゲームボーイ 

子供から大人まで広く遊ばれるゲームに「通信」が本格的に繋がったのは、いつなのか。それは1989年、任天堂からゲームボーイが発売されたときでした。

これと同じ頃に、家庭用ゲーム機が「通信」を活用した例はありました。ホームトレード、つまり家での株取引をするためのファミコンホームトレード(1988年)です。もちろんユーザーは株取引を迅速に行いたい大人に限られており、「遊び」に繋がるものではありませんでした。
もう1つは、セガ(現セガゲームス)のゲーム専用機「メガドライブ」用の通信モデム(電話回線でデータをやり取りできる装置)である「メガモデム」です。こちらはミニゲームをダウンロードしたり、野球ゲームや麻雀を対戦できるサービスが楽しめました。

しかし、どちらも電話回線が必要となり、月額料金や電話料金がかかります。市外局番にかけたりするといくら課金されるかも分からず、子供が気軽に利用できるものではなかったわけです。 

そこに現れたのが、ゲームボーイ。当時は、ファミコン発売から5年も経っており、PCエンジンやメガドライブ(どちらも2019年から2020年に掛けてミニ復刻版が発売されました)といった他社の家庭用ゲーム機が凌ぎを削っていた頃でした。
テレビゲームはカラーが当たり前になっていたなか、ゲームボーイのモノクロ液晶は一周遅れ感もありました。今振り返ると「バッテリーの保ちをよくするため」なのは分かるのですが(他社のカラー液晶を備えた携帯ゲーム機は外に持ち出しても遊べる時間が短かった)、目立つ要素も備えていませんでした。

ただ1つ、通信ポートと通信ケーブル(別売り)の存在を除いては……。 

ゲームボーイ本体の発売から2ヶ月後、1989年6月にリリースされた『テトリス』は、最終的には400万本を超えるスマッシュヒットを記録。『テトリス』の面白さや、それを白黒画面と十字キー操作向けにアレンジした移植の素晴らしさは言うまでもありませんが、そこにゲームボーイ版ならではの魅力を付け加えたのが「通信」です。「自分が消したラインを、相手側に送るだけ」というシンプルなものですが、これだけで爆発的に面白くなりました。互いの画面が見えないために作戦が読まれず、ケーブルの届く近さで言葉の駆け引きができる。日本に対戦格闘ブームを起こした『ストリートファイターⅡ』(1991年からゲームセンターで稼働)よりも早く「対戦」をゲームに導入したのですから、恐るべき先取りです。 

ゲームボーイに通信ポートの搭載を決めたのは、生みの親である横井軍平氏。コストを削りに削ったゲームボーイになぜ載せたかといえば、基板に追加するだけで2円のコストにすぎず、「面白そうなことができそう」という発想からだったとの証言もあります。
別売りの通信ケーブルの価格は1,500円ほどしたものの、一度買ってしまえば(断線しない限り)それ以上の課金をせずに、何回でも対戦ができる。ゲームボーイは「お金がかからないこと」で全国の子供たちに通信の楽しさを教えることになりました。

ポケモンの大ヒットは「通信交換」から 

初代『ポケットモンスター』(通称:ポケモン)が発売されたのは、1996年のこと。この頃のゲームボーイは、新作ソフトもほとんど出ない最末期。同時期のゲームギアやPCエンジンGTといった携帯ゲーム機もすでに現役を退いていました。 

初めの出荷は23万本。今でこそヒットとされる数字ですが、まだ初代プレステの発売から2年しか経っておらず、ゲーム業界に勢いがあったなかでは大きな成功と言えない数字です。
しかし、同年の夏には早々に100万本を突破し、最終的な累計販売本数は国内だけで1,300万本、全世界で4,600万本もの前代未聞の記録を達成。なぜこれほどの人気になったかと言えば、やはり「通信」がカギをにぎっていました。

『ポケモン』は、一見すればオーソドックスなRPGゲームです。主人公が各地を旅し、ストーリーを追いかけて様々な人と出会って冒険をする。しかし王道RPGと決定的に違っていたのは、主人公がポケモンと呼ばれる生き物を捕まえ、自分ではなく彼らに戦わせることでした。そして151種類もの個性豊かなポケモンを集め、「ポケモン図鑑」の余白を埋める、「収集する」楽しみがありました。ポケモンは育てると「進化」し、姿を変えて別種類になる。むしろ「戦う」は進化させるために経験値を稼ぐ手段に過ぎませんでした。
それでも集まらないポケモンは、別のゲームボーイと通信ケーブルを繋ぎ、交換により入手しなければいけない。なかには通信しないと進化できないポケモンもいたために子供たちが口コミで広めていき、ジワジワとブームが加熱していったわけです。

これは偶然ではなく、そもそも『ポケモン』というゲームの中核は「通信交換する」にあったようです。ゲームデザインを手がけた田尻智氏は「交換する」という動詞に注目し、「対戦するだけじゃなく、ゲームの中で集めたものを通信ケーブルを使って友達同士で交換するような遊びを作ったら面白いんじゃないか」と思いついたのです。
そうした「通信交換」したい動機付けを強めたのが、史上初の「赤」と「緑」の2バージョン構成です。基本的には同じゲームながら、登場するポケモンや出現率に違いがある。ポケモン図鑑を完成させるためには、バージョン違いのソフトを持つ友達との通信が必須となったのです。

「通信交換」が大人気になった一方で、意外と人気が出なかったのが「通信対戦」でした。理由の1つは、他人の育てたポケモンと戦っても、経験値や(ゲーム内の)お金も入らず、うま味がありませんでした。 

もう1つの理由が、「状態異常技わざ」が有利すぎる(相手を数ターン行動不能にして一方的に攻撃)、一部のポケモンが強すぎるなど、控えめに言って対戦ゲームバランスが良くなかったこと。対戦は急きょ実装されたとの逸話もあり、時間と労力を注ぎ込み作り込んだ「通信交換」が子供たちのハートをつかんだ、実に順当な結果と言えるでしょう。 

こうして成功に導いた「通信交換」は、続編にも受け継がれるとともに、歴代ゲームボーイやその流れを汲む任天堂の携帯ゲーム機にも通信機能が実装されました。
最新作『ポケットモンスター ソード・シールド』では舞台をNintendo Switchに移し、ローカル通信で近くにいる人や、インターネット通信で世界中の人とも「通信交換」ができます。そしてスマートフォン用アプリ『ポケモンGO』もポケモン交換が可能となっています。

そうしてお金の掛からないケーブルによる「通信対戦」が子供たちを夢中にさせた一方で、お金の掛かる「オンラインゲーム」が青少年や大人を熱狂させたのでした……。
ということで、次回は1990年代後半の『ディアブロ』や『ウルティマオンライン』から始まる通信ゲームのお話です。お楽しみに!

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