前回お話しした『ファイナルファンタジー(FF)11』や『ファンタシースターオンライン(PSO)』が全盛期だった2000年代前半。これらの人気もありましたが、同時に韓国製のオンラインゲームが日本でも大ヒットした時代でした。
たとえば『ラグナロクオンライン』(2002年~)や『リネージュ』などやり応えあるMMORPG(複数プレイヤー参加型オンラインRPG)もあれば、様々なゲームが遊べるポータルサイト『ハンゲーム』(1999年~/日本版は2000年~)やゴルフゲーム『スカッとゴルフ パンヤ』(2004年~)など軽めのカジュアルゲームもリリース。マニア向けからちょっと暇つぶしをしたい一般人向けまで、日本のPCゲーマーを楽しませてくれる幅広いラインアップが揃っていました。
その1つ1つを振り返れば長くなるため省略しますが、なぜあの頃、韓国発の面白いオンラインゲームが花盛りになったのか。その背景をざっと見ていきたいと思います。
ライター :多根清史
韓国オンラインゲームが大躍進した2000年代
そもそもの始まりは、1997年頃に韓国が通貨危機による不況に見舞われていたことが原因でした。そこで当時の韓国政府はインターネット産業を中核産業に育てようという国策を実施。ブロードバンド(今の感覚でいうと遅いADSLですが)を国中に敷きました。
ただ、全国の各家庭まで回線を敷くのは効率が悪いし、財政にそんな余裕はない……。そこでPC房(日本でいうネットカフェ)をあちこちに作り、ビジネスマンから学生まで広くネットを使えるようにしたわけです。
その結果、主な使い道となったのがオンラインゲームで、若者達が『ディアブロ』(第2回参照)や、同じブリザード・エンタテイメント社の『スタークラフト』に熱狂することとなりました。特に後者は、対戦者らが互いに腕を競い合うRTS(リアルタイムシミュレーション/リアルタイムに進行する戦略ゲーム)として爆発的なヒットを記録し、ひいてはeスポーツの基礎を築いた1つと見られています。
「ナローバンドからブロードバンド」の波に乗った韓国
その一方で『ハンゲーム』の始まりは、コミュニティとゲームの組み合わせ。オンラインで花札などのテーブルゲームが無料でプレイでき、それがコミュニケーションのきっかけとなり、人の輪がどんどん広がっていったのです。
ただ、それだけではお金になりませんので、ゲームアイテムを有料で販売……というのが、今どきのオンラインゲーム主流である「基本プレイ無料+アイテム課金」システムに繋がっているわけですね。ただしアイテム課金を最初に始めたのは『ハンゲーム』ではなく、同じく韓国発のMMORPG『The Legend of Mir2』(2001年)だというのが定説となっています。
こうして韓国のオンラインゲーム産業は「国策」だったブロードバンド普及の副産物として生まれ、膨大なゲーマー人口に支えられて飛躍的な発展をとげることになりました。これはまさに、世界的な「ナローバンド(電話回線とアナログモデムを介した低速な回線)からブロードバンド」という潮流に乗り、韓国をして「オンラインゲーム大国」に成長させたのです。
そんなインターネットの潮の変わり目に「ナローバンド」側にいてしまったのが、日本初のモデム内蔵ゲーム機・ドリームキャスト(第3回参照)でした。これからはインターネットという見通しは正しかったものの、アナログモデムを標準搭載した直後にブロードバンドの波が来てしまったところが、ネットビジネスの難しさを象徴しているのかもしれません……。
日本の携帯電話ゲームの基礎を築いたネットワークサービス
これまでは家やオフィスに固定回線を敷いた通信ゲーム(無線LANであれ、「家まで敷いた回線」から無線を飛ばしているので含まれます)のお話でしたが、いよいよ有線ではない通信ゲーム――携帯電話回線によるオンラインゲームの話題に入ろうと思います。現在のiPhoneやAndroidなどのスマートフォン用ゲームアプリのご先祖様ですね。
その本格的な始まりは、日本で起こりました。1999年から、携帯通信キャリア各社が開始したネットワークサービスのことです。ほぼ同時期に複数の大手キャリアが携帯電話IP接続サービスの提供を始め、「機器を購入しただけですぐインターネットに繋げる」ようになったわけです。
これに伴い、携帯電話向けネットワークサービスには様々なネットコンテンツが提供され、その中の1つが「ゲーム」という訳です。当初、対応デバイスとなった携帯電話は通信も遅く、処理性能も低かったので「Webページのリンクをたどる」程度しかできませんでしたが、ともかくゲームができるようになった。これが大事。そう、「話す携帯電話」から「遊べる携帯電話」へと進化を遂げたのです。
もう1つ画期的だった点は「ネットコンテンツの利用料金が、携帯電話料金と一緒に回収される」ということです。インターネットが生まれて以来、長らくネット上のコンテンツは無料という時期が続きましたし、ネットビジネスに取り組んだ人々にとっても「どうやってお金を払ってもらうか」は頭の痛い問題でした。それが、携帯通信キャリアが代わりに集めてくれることで、ネットで稼ぐことが容易となりました。
こうしたビジネスのしやすさもあり、携帯電話向けの通信ゲームが続々と登場。ニコニコ動画で知られるドワンゴもゲームコンテンツサイト「ドワンゴかもね」のサービスを開始し、『釣りバカ気分』などを提供。釣り糸を垂れてから1~10分ほど待つと魚がかかったと知らせるメールが届く……という気長なペースながら、魚の大きさによりランキングを競い合える凝り方がドワンゴらしいですね。
『ドラクエ』や『FF』が携帯電話の売上げを左右
時が経ち、携帯電話の性能が上がるにしたがってゲームの内容も進化していきました。これ、すなわち2001年頃における「Javaアプリ」の登場です。
それ以前の携帯電話向けゲームの弱点は、「地下鉄でプレイできないこと」。つまり携帯電話とゲームサーバーの間で常に通信を行う必要があり、電波が届かない地下鉄(当時)ではどうにもならなかった。
それがJavaアプリでは、携帯電話の中にゲームをダウンロードできるようになった。必要なときだけネット接続すればいいという、現代のスマートフォンゲームに一歩近づいたのです。
ちなみにJavaアプリが何かと言えば、携帯電話の中に「Javaマシン」という仮想コンピュータを作り、その中でゲームやアプリを動かす仕組みのことです。なぜ、こんなややこしいことをするのか。それは、それぞれハードウェアが異なる携帯電話で、同じアプリを作動させるためです。現代でも色んなメーカーのAndroidスマホが、「Android」というOS(基本システムソフト)を間に置くことで違いを吸収しているのと似ていますね。
そうこうするうちに、携帯電話の性能はいっそう強化。ゲームもJavaアプリからネイティブアプリ、つまり「特定の携帯電話でしか動かないが、性能がフルに引き出せる」方向へと移っていったのです。
来たる2004年、『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』が完全移植された携帯電話シリーズが発売。これらは第3世代携帯通信「3G」(話題の「5G」の2世代前です)を売り込むための切り札であり、まさに「ゲームが携帯電話の販売競争を左右した」時代の象徴でした。
こうして2005年、日本のネット対応携帯電話の普及率は世界でトップになり(2005年)、韓国とは違った方向で通信ゲーム大国となっていったのです。
……が、その2年後には初代iPhoneという黒船が日本に上陸し、スマートフォンや通信ゲームの勢力図は大きく塗り替えられていくのですが、これはまた次回、お話ししましょう。
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